一、御述作の由来本抄は、鎌倉の楅谷の妙密上人からの青鳧五貫文の御供養に対し、建治二(一二七六)年閏三月五日、身延の地より御年五十五歳の大聖人様が謝礼のために、その夫妻に与えられた書です。妙密上人は、鎌倉に居住していた在家僧、あるいは御家人と考えられていますが、詳細は不明です。ただし本抄の中に、
なお、本抄の御真蹟は現存しません。 二、本抄の大意はじめに御供養への謝意を述べられます。仏教において、五戒では不殺生戒、六波羅蜜では檀波羅蜜を行の始めとする道理から、人に食を施す功徳の大なることを述べ、特に命を継ぐ、色を増す、力を授けるとの三つの徳を示されます。次に、日本への仏教諸宗の伝来についてふれられ、インド・中国・日本の三国を通じて、未だ法華経の題目を自行化他にわたって唱えた人がいないこと、またその理由を挙げられます。 続いて、末法の現在、上行菩薩が法華経の弘通を開始されること、さらに大聖人様御自身がその題目を弘めていることを述べられています。 また、諸宗の人師等が、法華経の意を無にして題目を唱えることを破折し、対して大聖人様御一人が法華経の意のままに、忍難弘通の御化導の上に、法華経の題目を身読されていることを示されています。 最後に、日本国の人々が、日蓮が憎いゆえに法華経に帰依しない実状を述べつつも、必ず帰依する時がくるという御本仏の確信を披瀝され、妙密上人が現在法華経を信じ、たびたび御供養される功徳は、正法が弘まるにつれて、ますます大きくなることを御教示あそばされています。 三、拝読のポイント御供養に三つの功徳あり第一には、本抄に、
すなわち、一つめの「命をつぎ」とは、人間や天上界に生まれたならば、長命の果報を得ることができ、また仏に成った時には法身如来の徳が現れて、その身は虚空 のように限りないものとなるということです。 二つめの「色をまし」とは、人間や天上界に生まれたならば、立派な相貌を具えて、その美しく正しいことは華のようであり、また仏に成った時には応身如来の徳が現れて、尊極な釈迦仏のようになるということです。 そして三つめの「力を授く」とは、 人間や天上界に生まれたならば、威徳の勝れた者となって多くの眷属ができ、また仏に成った時には報身如来の徳が現れて、蓮華の台に座し、八月の十五夜の月が晴天に出たようになるということです。 このように、御供養には、たいへん尊い功徳が存することから、私たちは常日頃から仏様への供養を怠ることなく、真心をこめて励んでいくことが大切です。 帰依せずして法華経読誦の意義なし 第二に、法華経の信仰者とならずして、法華経を読む意義はないということです。 本抄では、諸宗の人師が、邪法である所依の経教を師とし、しかも法華経に通達していると慢心を起こしていることに対し、
法華経は、唯一完全な真理を説いた絶対の教えであるゆえに、
私たちも、幸いに正法に縁をしながら、我見により真の信仰者となることができなければ、法華不信の罪による堕地獄を免れ ることはできません。観念の信心に陥り「論 語読みの論語知らず」とならぬよう、正直な信心を心がけましょう。 法華経修行の師は大聖人 第三に、大聖人様こそが法華修行の師であるということです。 大聖人様は、法華経『勧持品』等に予証される種々の法難の経文を挙げられ、
ここに大聖人様は、法華経弘通の実践とそれに伴う法難の身読により、その教義の真実性を実際に証明したことを述べられ、御自身が法華経の聖賢にして正師であることを仰せです。このことから、法華経身読は、本門の題目を御所持あそばされる御本仏の御振る舞いであり、それを行じる大聖人様こそが御本仏であるということが明らかです。そして私たちが唱える題目は、御本仏大聖人様御所持の本因下種の題目であ り、人法一箇、独一本門戒壇の大御本尊の題目なのです。 しかして本抄には、
「仏の御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか」 私たちは、本門の題目を正師たる大聖人様から信心をもって譲り受けることで、はじめて御本仏の功徳を我が身に享受し、 成仏が現実のものとなるのです。よって、宿縁深厚により本門の題目を唱えることのできる私たちは、題目の甚深なる意義を深く拝し、一遍一遍の題目を至心に唱えてまいりましょう。 大聖人弘通の題目は自行化他の題目 第四に、末法の題目は、自行化他の題目にして、折伏を指向するということです。 本抄で大聖人様は、
末法における法華経の題目について、『三大秘法稟承事』には、
また『諌暁八幡抄』には、この自行化他の題目を、宗旨建立以来一貫して、大聖人様が事に行じられていたことを、
このことから私たちも、自行化他の題目の意義を、修行の上に現すことが肝心です。そしてその実践とは、唱題を自身ばかりで励むのではなく、他の講員をも激励して共に唱題することであり、共に仏道を歩むことなのです。ですから未入信の人には、本門の題目を唱えて共に成仏できるよう、折伏を実行していくことが肝要なのです。 四、結 び大聖人様は『土籠御書』に、
「法礎建立の年」の本年、一人ひとりが、磐石な信心を確立するために、これまでの惰弱な信心を改め、大聖人様がお示しくだされた自行化他を身口意の上に実践し、充実した信心に精進していきましょう。 |
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