一、御述作の由来本抄は、建治三(一二七七)年十一月二十日、大聖人様が五十六歳の御時に身延において認められ、池上兄弟の弟、兵衛志宗長に与えられた書です。御真蹟は全十六紙が京都妙覚寺外一カ所に蔵されています。池上兄弟は、鎌倉幕府の作事奉行であっ た池上左衛門大夫康光の子息で、兄は右衛 門大夫宗仲といい、弁阿闍梨日昭の甥に当たります。 康元元(一二五六)年ごろ、大聖人様に帰依したと伝えられ、特に兄の宗仲は、鎌倉の檀越の中でも最古参の強信者でした。 父の康光は、律宗の極楽寺良観の信者であり、息子が法華経を信仰することに強く反対していました。 建治二(一二七六)年のはじめ、康光は良観の入れ知恵によって宗仲を勘当し、弟 の宗長に家督を継がせようとしました。 このとき、大聖人様は『兄弟抄』を送り、兄弟が心を合わせて正法の信仰を貫き、障魔に打ち勝つよう激励されています。(本紙五二四号参照) その後、宗仲の勘当は一時許されましたが、本抄を著わされた建治三年十一月に至り、再び勘当されてしまったのです。これは同年六月の桑ケ谷問答において、良観の庇護僧である竜象房が敗北したことに対する良観の報復だったのです。 当初、信仰が軟弱であった弟の宗長も、大聖人様の教導によって次第に信仰を深め、兄の宗仲や妻たちと力を合わせ、父の康光やその背後にいる良観と闘ったのです。その結果、弘安元(一二七八)年には、宗仲の勘当が解け、父の康光も大聖人様の仏法に帰依することになったのでした。 二、本抄の大意はじめに兄の宗仲が、再度勘当されたことで弟の宗長が動揺して父の命にしたがい、法華経の信仰から退転して親の家督を継ぐことは、父子ともに地獄に堕ち、かえって不孝の罪を招くことになることを心配されています。続けて浄蔵・浄眼の例に習い、一時は父の意に背いても、兄弟が協力して父の非を諌め、仏道を成じていくならば、真の孝養となること。そして凡夫が仏に成るときは、三障四魔が必ず競い起こることを示され、賢者は屈することなく喜んで精進するが、愚者は恐れて退転してしまうものであると仰せになられています。 最後に悉達太子が王位を捨てて出家し、 仏と成られた例を引き、親に背いても成仏の道へ導くのが真の孝養であると激励されて本抄を結ばれています。 三、拝読のポイント兄の宗仲は、建治三年に再び父の勘当を受けたことに対して、大聖人様の門下として信心を貫く決意を示しましたが、弟の宗長のほうには、信心に動揺の色が見えたようで、大聖人様は宗長に対し、厳格な指導を示されたのが本抄です。大聖人様は、親に対する孝養と、家督相続の問題、障魔が競うこと等について、信心の上から厳しく指導をされています。 親に対する孝養 まず世間での、
兄の宗仲は信心強盛で、性格も剛直でしたが、弟の宗長は、父・康光の親の情にほだされやすい面を持っていたゆえに、邪宗の者たちの策動によって康光が動かされているという本質を見抜けずに、父にしたがうような気配を見せたものと思われます。 こうした宗長でしたから、大聖人様は厳しい御言葉で、
また、法華経の『妙荘厳王本事品』に説かれる浄蔵・浄眼が、外道に執着する父・妙荘厳王を救ったのと同じように、兄弟二人は団 結して父・康光を折伏しなさいと励まされ、昔と今とは時は変わっても、法華経の道理は変わらないことを示されています。 さらに、成仏の難しいこと、法華経に値い難いことを述べられるとともに、
私たちも退転なく仏道を行じていってこそ、自身が仏の境界を得ていくとともに、親への真実の孝養ができることを忘れてはならないのです。 家督相続の問題 また大聖人様は、康光が家督を宗長に譲ろうとしたことに対しても、わずかの所領や財産に目がくらんで法華経を捨てるのは、悪道に堕ちる行為であるとして、執権の北条時頼ですら、三十歳で家督を嫡子時宗に与え、多大な所領や家来を譲った例を示されて、財産や名誉に執着する心を打ち破られています。 大聖人様は、厳父のごとき思いをもって、
そして、親にしたがい兄の家督を譲られたとしても、千万年も繁栄していけるものではないのだから、目先の儚い利益に迷うことなく、揺るぎない幸福を得ていくという最高の目的に生きることを勧められています。 地位や財産を餌に信仰を捨てさせることは卑劣なことですが、私たちも誘惑に負けて教えを棄てる愚を犯すことのないように信仰を確かなものとしていかなければなりません。 難が起こるのは宿業打開の時 さらに、私たちが過去遠々劫から、法華経を信じてきたとしても、未だ成仏を遂げることができなかったのは、難に遭って退転してしまったからであるとして、この難は池上兄弟はもとより、その妻子眷属にとっても大きく信心の成長を期すべき時であることに違いはないとして、
難を恐れ、身命を惜しんで折伏の手を拱い ていては宿業の打開も成仏も遂げることはできません。大聖人様から宗長へ賜った戒めを私たちへの戒めと拝して、日々の信行の実践に怠りなきよう勤めてまいりましょう。 四、結 び大聖人様は仏道修行の要諦として、
宗旨建立七百五十年に向かって、着実に前進する私たちの信心を試さんとして障魔が競い起こり、その行く手を阻もうとする用きのあることは明らかです。 「出陣の年」の総仕上げを果たしていく上で重要な月ともいえる今月。魔の用きに一歩も退くことなく、さらに折伏の駒を進め、仏の軍勢たる日蓮正宗法華講の名を世に示していこうではありませんか。 |
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