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大白法・平成11年10月1日刊(第534号より転載)御書解説(78)背景と大意

兵衛志殿御返事

(御書 1182頁)
(別名『諌暁書』

一、御述作の由来

 本抄は、建治三(一二七七)年十一月二十日、大聖人様が五十六歳の御時に身延において(したた)められ、池上兄弟の弟、兵衛志(ひょうえさかん)宗長(むねなが)に与えられた書です。御真蹟は全十六紙が京都妙覚寺外一カ所に蔵されています。
 池上兄弟は、鎌倉幕府の作事奉行(さくじぶぎょう)であっ た池上左衛門大夫(さえもんのたいふ)康光(やすみつ)の子息で、兄は右衛(うえ) 門大夫(もんのたいふ)宗仲(むねなか)といい、弁阿闍梨日昭の(おい)に当たります。
 康元元(一二五六)年ごろ、大聖人様に帰依したと伝えられ、特に兄の宗仲は、鎌倉の檀越(だんのつ)の中でも最古参の強信者でした。
 父の康光は、律宗の極楽寺良観の信者であり、息子が法華経を信仰することに強く反対していました。
 建治二(一二七六)年のはじめ、康光は良観の入れ知恵によって宗仲を勘当(かんどう)し、弟 の宗長に家督を継がせようとしました。
 このとき、大聖人様は『兄弟抄』を送り、兄弟が心を合わせて正法の信仰を貫き、障魔に打ち勝つよう激励されています。(本紙五二四号参照)
 その後、宗仲の勘当は一時許されましたが、本抄を著わされた建治三年十一月に至り、再び勘当されてしまったのです。これは同年六月の桑ケ谷(くわがやつ)問答において、良観の庇護(ひご)僧である竜象房が敗北したことに対する良観の報復だったのです。
 当初、信仰が軟弱であった弟の宗長も、大聖人様の教導によって次第に信仰を深め、兄の宗仲や妻たちと力を合わせ、父の康光やその背後にいる良観と闘ったのです。その結果、弘安元(一二七八)年には、宗仲の勘当が解け、父の康光も大聖人様の仏法に帰依することになったのでした。

二、本抄の大意

 はじめに兄の宗仲が、再度勘当されたことで弟の宗長が動揺して父の命にしたがい、法華経の信仰から退転して親の家督を継ぐことは、父子ともに地獄に()ち、かえって不孝の罪を招くことになることを心配されています。
 続けて浄蔵(じょうぞう)浄眼(じょうげん)の例に習い、一時は父の意に(そむ)いても、兄弟が協力して父の非を諌め、仏道を成じていくならば、真の孝養となること。そして凡夫が仏に成るときは、三障四魔が必ず競い起こることを示され、賢者は屈することなく喜んで精進するが、愚者は恐れて退転してしまうものであると仰せになられています。
 最後に悉達太子(しったたいし)が王位を捨てて出家し、 仏と成られた例を引き、親に背いても成仏の道へ導くのが真の孝養であると激励されて本抄を結ばれています。

三、拝読のポイント

 兄の宗仲は、建治三年に再び父の勘当を受けたことに対して、大聖人様の門下として信心を貫く決意を示しましたが、弟の宗長のほうには、信心に動揺の色が見えたようで、大聖人様は宗長に対し、厳格な指導を示されたのが本抄です。
 大聖人様は、親に対する孝養と、家督相続の問題、障魔が競うこと等について、信心の上から厳しく指導をされています。

 親に対する孝養
 まず世間での、
     「父には子したがひ」
とする考えの上から、親の意に反する法華経の信心を続けていくことに動揺する宗長を戒めるために、
     「さゑもんの大夫殿は今度法華経のかたきになりさだ()まり給ふとみへて候。ゑもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。とのは現前の(はか)らひなれば親につき給はんずらむ」
と仰せになられて、父の康光は法華経を信ずる宗仲を勘当してその信心を妨げようとしたのであるから、法華経の(かたき)と定まった。宗仲は、法華経を信ずるゆえに大難を受け、その難に負けることなく信心を貫いているので、法華経の行者になるであろう。しかし、宗長は目先のことや現世の栄誉しか考えないゆえに、法華経の信心から離れて親に付きしたがうとも、それは真の親孝行ではないと、厳しく説かれています。
 兄の宗仲は信心強盛で、性格も剛直でしたが、弟の宗長は、父・康光の親の情にほだされやすい面を持っていたゆえに、邪宗の者たちの策動によって康光が動かされているという本質を見抜けずに、父にしたがうような気配を見せたものと思われます。
 こうした宗長でしたから、大聖人様は厳しい御言葉で、
     「百に一つ、千に一つも日蓮が義に()かんとをぼさば、親に向かっていゐ切り給へ。親なればいかにも(したが)ひまいらせ候べきが、法華経の御かたきになり給へば、つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、()てまいらせて兄につき候なり。兄にすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ。すこしもをそるゝ心なかれ」
と仰せになり、万一、大聖人様の教えにしたがう気があるなら兄について信心を貫くよう励まされるとともに、このように親に向かって言い切りなさいと、指導されたのでした。
 また、法華経の『妙荘厳王本事品』に説かれる浄蔵・浄眼が、外道に執着する父・妙荘厳王(みょうそうごんのう)を救ったのと同じように、兄弟二人は団 結して父・康光を折伏しなさいと励まされ、昔と今とは時は変わっても、法華経の道理は変わらないことを示されています。
 さらに、成仏の難しいこと、法華経に値い難いことを述べられるとともに、
     「されば父母はまうけ()やす()し、法華経はあひがたし。今度あひやすき父母のことばをそむ()きて、あひがたき法華経のとも()はな()れずば、我が身仏になるのみならず、そむきしをや()をもみちび()きなん」
と仰せられ、康光の圧迫や感情に負けず、その命に背いてでも大聖人様に付きしたがうならば、自身の成仏だけでなく、法華経に背いた親をも救うことができるのであると激励されています。
 私たちも退転なく仏道を行じていってこそ、自身が仏の境界を得ていくとともに、親への真実の孝養ができることを忘れてはならないのです。

 家督相続の問題
 また大聖人様は、康光が家督を宗長に譲ろうとしたことに対しても、わずかの所領や財産に目がくらんで法華経を捨てるのは、悪道に堕ちる行為であるとして、執権の北条時頼(ときより)ですら、三十歳で家督を嫡子(ちゃくし)時宗(ときむね)に与え、多大な所領や家来を譲った例を示されて、財産や名誉に執着する心を打ち破られています。
 大聖人様は、厳父のごとき思いをもって、
     「今度はとの(殿)は一定()ち給ひぬとをぼ()うるなり。をち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず。但地獄にて日蓮をうらみ給ふ事なかれ。しり候まじきなり」
と仰せになり、殿(宗長)はきっと退転するであろう。退転することをとやかく言うつもりはないが、地獄に堕ちてから日蓮を(うら)んでも知らないぞと、厳しい御言葉を(つづ)られていますが、その真意はと言えば、宗長が地獄へ堕ちることのないように、その禍根(かこん)を断ち切るための深い慈悲と拝することができます。
 そして、親にしたがい兄の家督を譲られたとしても、千万年も繁栄していけるものではないのだから、目先の(はかな)い利益に迷うことなく、揺るぎない幸福を得ていくという最高の目的に生きることを勧められています。
 地位や財産を餌に信仰を捨てさせることは卑劣なことですが、私たちも誘惑に負けて教えを棄てる愚を犯すことのないように信仰を確かなものとしていかなければなりません。

 難が起こるのは宿業打開の時
 さらに、私たちが過去(かこ)遠々劫(おんのんごう)から、法華経を信じてきたとしても、未だ成仏を遂げることができなかったのは、難に遭って退転してしまったからであるとして、この難は池上兄弟はもとより、その妻子眷属にとっても大きく信心の成長を期すべき時であることに違いはないとして、
     「しを()()るとみつ()と、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す(さわ)りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」
と仰せになり、自然の境目にも変調があるのと同じように、仏道修行の上においても、凡夫が仏に成るときには、必ず三障四魔が出てくるのである。したがって三障四魔が競うことをもって、(おのれ)の宿業を打開して成仏を遂げる時であると知るがゆえに、賢者は喜んで、この難に立ち向かうのである。しかし愚者はそのことを知らず、三障四魔の表面的な恐ろしさに驚いて退転してしまうことを示されて、兄弟が二十年の信心を経て、成仏を遂げる時が近づいたことを教えられ、喜んでこの難と闘うことを強く指導されています。
 難を恐れ、身命を惜しんで折伏の手を(こまね)い ていては宿業の打開も成仏も遂げることはできません。大聖人様から宗長へ賜った戒めを私たちへの戒めと拝して、日々の信行の実践に(おこた)りなきよう勤めてまいりましょう。

四、結 び

 大聖人様は仏道修行の要諦として、
     「千年のかるかや(苅茅)も一時にはひ()となる。百年の功も一言にやぶれ候は法のこ()わりなり」
と仰せられ、千年も経った苅茅(かるかや)でも、いった ん火に遭えば一時に灰となり、百年かかって作り上げた功労も、れずか一言で徒労に帰してしまう。これは物事の道理であるとして、一つのことを成就するためには、注意を払って進んでいかなければ意味がないことをお示しになられています。
 宗旨建立七百五十年に向かって、着実に前進する私たちの信心を試さんとして障魔が競い起こり、その行く手を(はば)もうとする用きのあることは明らかです。
 「出陣の年」の総仕上げを果たしていく上で重要な月ともいえる今月。魔の用きに一歩も退(しりぞ)くことなく、さらに折伏の駒を進め、仏の軍勢たる日蓮正宗法華講の名を世に示していこうではありませんか。


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