一、御述作の背景本抄は、建治元年(一二七五)九月二十八日、大聖人様が五十四歳の御時、身延の地より下総国若宮(現在の千葉県市川市)に居住しておられた富木常忍の奥方、妙常尼に対して与えられた御書です。御真蹟は中山の法華経寺に格護されています。対告衆 伝承によれば、富木殿の奥方妙常尼は、上野郷の隣、富士重須の人です。 初め同地の橘定時という人に嫁し、二男一女をもうけましたが死別してしまいました。その後、縁あって富木殿と子連れで再婚しました。この時、一緒に養子として入った長男が、後に六老僧の一人となった伊予阿闍梨日頂です。また、次男も出家し、初め民部日向を師匠として大聖人様の弟子となりましたが、日興上人が身延離山された折、日向の謗法に気づき、以後日興上人の弟子となりました。それからは水を得た魚のごとく、興学布教に励み、日興上人の片腕となり、重須談所の初代学頭に任命されました。すなわち寂仙房日澄です。 こうして、富木家は強盛な信仰に生き、妙常尼自身も内にあっては夫をよく助けると共に、老母にもよく仕えていました。 それは大聖人様が『富木尼御前御書』に、
背 景富木殿一家は、大聖人様に対して精神的にも経済的にも、あらゆる面で数々の外護をなされています。その中にあって、ことに金銭と衣類の多さが目につきます。金銭は、大聖人様一門の生活費や書籍や仏具等必要なものを購入したり、弟子の育成や布教のための旅費等、あらゆる面で必要不可欠であり、それを支援していたのが富木殿であったことを考えれば容易に頷けますが、衣類にまで心を配ることは男性にはなかなかできるものではないと思います。ここに妙常尼ならではの心配りが拝せます。 ちなみに、御書に見る富木家からの衣類の御供養を列挙しますと、
同年十一月に白小袖一つ。 文永十一年に帷一領。 文永十二年に帷一領。 建治元年九月に衣の布並びに御単衣。 同年十一月に厚綿の白小袖一つ。 弘安二年に白小袖一つ並びに薄墨染の袈裟・衣一つずつ。 当時の衣類は、大変高価で貴重であったといいます。しかし、そのような中で富木殿、とくに妙常尼や九十になる老母から毎年のように袈裟・衣や衣類の御供養をいただいた大聖人様は、大変に感謝なされています。 二、本抄の大意最初に、衣の布並びに単衣を頂戴したことを記されています。そしてその御供養の志に対して、過去の鮮白比丘尼の例を引かれながら、法華経並びに人法体一の御本仏たる日蓮大聖人様に御供養された功徳の大きさを示されています。すなわち、鮮白比丘尼は、生まれた時から衣を身に着けていたといいます。そして、鮮白比丘尼が成長すればそれに応じてその衣も大きくなり、出家すれば法衣となるという不思議な徳を身に具えた人でした。そして、ついには法華経の座で、一切衆生喜見如来という記別を釈尊から授かったのです。その由来は、過去に衣を仏法僧の三宝に供養したからであるとされています。 そして今、法華経を信仰し、折伏する人にも、凡夫の目には見えないけれども、柔和忍辱衣という衣が具わっているし、具えなければならないことを示されています。 次に、法華経に供養する功徳の大きさを、一粒万倍となる種の例や、わずかな水から大雨を降らす竜のこと。そして小さな火から大火事にしてしまう人間の姿などから、たとえわずかなものであっても、その功徳は計り知れないと仰せです。なぜならは、法華経は一字が一仏であるから、六万九千三百八十四の仏様に供養したことになる。ゆえに、法華経に供養する功徳は莫大であることを教示しています。 さらに真の仏とは、爾前経では絶対に成仏できないと打ち捨てられた二乗をも救うことを眼目とし、そのために『寿量品』では久遠実成を示して三身が常住していることを説き、一切衆生にも元来仏性が具わっていることを証明しています。 そして、この仏性を開くにほ法華経の修行以外には絶対になく、それを正しく教示された方こそ真の仏様であると仰せです。 また、衆生の機根に合わせて出現する三十二相八十種好の仏は真の仏ではなく、これらの仏を仏たらしめたところの法華経こそが真仏であるとも仰せです。 なぜならば、釈尊在世の時においては、釈尊を信じても仏には成れなかった人もいます。それは真実最高の法華経を聞くことができなかった人もいたからです。しかし、滅後の衆生にとっては、有り難いことに、この法華経を信ずる人は一人として成仏できない人はいないのです。ゆえに釈尊より法華経の方が功徳が大きいと言えるのです。 さらに、文底の立場から見れば、釈尊とは無縁の末法の衆生を救済するために、大聖人様が釈尊から結要付嘱を受けられた上行菩薩の再誕として、末法に御出現あそばされ、文底秘沈の妙法を顕されたのです。 その大聖人様の信者となり、衣を御供養されたということは、インドの釈尊に供養することには比べものにならないはど大きな功徳があり、成仏することは間違いないと仰せられているのです。 三、拝読のポイントまず、鮮白比丘尼の先例からも、末法の今日においては、下種三宝に対する純粋な御供養には計り知れない大きな功徳があり、必ず成仏の因となるということを銘記しましょう。そして、この御供養が純粋にして強盛なる信心の表れであることは言うまでもありません。次に、私たち大聖人様の弟子檀那となった人は、すでに柔和忍辱衣を身につけていることを自覚しましょう。この柔和忍辱衣は、一切衆生を救済せんとする折伏の大慈悲心であり、あらゆる困難にも負けないで前進する強盛な信仰心です。この信仰心こそが自他共に成仏へ導く鍵であり、大きな功徳の表れであります。 次に、三十二相の脱益の仏は迹仏であって本仏ではないということです。それはインドの釈尊さえも例外ではなく、久遠元初の自受用報身、人法一箇、凡夫即極の日蓮大聖人様こそが真の仏であることを銘記しましょう。インドの釈尊は、本未有善の末法の我々衆生を救うことはできません。真の仏は、すべての人を救うことができるし、とくに一番罪障が深く、苦しんでいる人をも慈しんで救ってくださるのです。 四、結 び文永八年(一二七一)九月十二日は、竜の口において大聖人様が発迹顕本なされた日です。大聖人様は本仏であるにも関わらず、なぜ三類の強敵をはじめ、様々な法難に遭われたのでしょうか。それは、文証・理証・現証を大事とする仏法において、大聖人様の出自を証明するためです。また、釈尊からの正当な血脈相伝を証明するためでもあります。インドの釈尊は、大聖人様こそが真の仏であることを証明するために先に出現せられ、法華経の上に「数数見擯出」等の王難や「猶多怨嫉」等の迫害があること、さらには「結要付嘱」等をもってそれらを予証されたのです。そして、その予言を身に当てられて、自らこそが本仏であることを証明したのが、真の法華経の行者たる宗祖日蓮大聖人にほかならないのです。 私たちは、この文証・理証・現証の上から大聖人様を末法の御本仏と深く拝し、大聖人様からの唯授一人の血脈の御内証を所持なされる御法主上人猊下の仰せのままに仏道修行に励んでまいりましょう。 |
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