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大白法・平成9年12月1日刊(第491号より転載)御書解説(56)背景と大意

教行証御書

(御書 1103頁)
(別名『報日進書』『与三位房』

一、御述作の背景

 本抄は、建治三年(一二七七)三月二十一日、大聖人様が五十六歳の時、三位房(さんみぼう)日行に与えられた御書です。御真筆は現存しません。

対 告 衆


 本抄を賜った三位房日行については詳細は伝わっていませんが、房州下総(しもうさ)の出身で、早くから大聖人様の弟子となったとされています。
 三位房は、大聖人様に比叡山留学を命ぜられるなど、学才は秀でておりましたが、性格的に虚栄心が強く、軽薄な面があったことが御書によって解ります。
 比叡山に留学して間もない文永六年(一二六九)、某公卿(くぎょう)に招待され、その持仏堂で説法をして大いに面目(めんぼく)を施したと鎌倉の大聖人様に報告してきたとき、大聖人様は『法門申さるべき様の事』を(つか)わされ、
     「日蓮をいやしみてかけるか」(御書 430頁)
と、世俗の権力に(へつら)う三位房を戒めています。さらに文永八年(一二七一)の賜書『十章抄』には、三位房が天台の法門に馴染(なじ)んで、大聖人様の御法門から外れることのないよう、『摩訶止観』講読の注意を細々(こまごま)と御指南されています。
 このように、虚栄心と軽薄さを併せ持つ三位房でしたが、竜の口法難には大聖人様に供奉(ぐぶ)して法難の渦中に身を投じ、さらに天台の学僧・竜象房との鎌倉・桑ヶ谷(くわがやつ)での問答では見事に論破するなど、功績もあったのです。しかし、最後には大聖人様に師敵対し、不可解な死を遂げたことが『聖人御難事』に記されています。

背 景


 本抄御述作の二年前、建治元年(一二七五)十二月二十六日、天台・真言兼学の僧強仁(ごうにん)から、身延の大聖人様のもとへ一通の難状が届きました。これについて大聖人様はすぐに返書を(したた)められ、
     「貴坊本意を遂げんと欲せば、公家と関東とに奏聞(そうもん)を経て露点(ろてん)を申し下し是非を糾明(きゅうめい)せば、上一人()みを含み、下万民疑ひを散ぜんか」
                                   (御書 916頁)
と、公家や関東(幕府)に奏聞を捧げての公場での法論を望まれました。
 そして、翌建治二年正月の『清澄寺大衆中』には、法論のための経巻や、論釈の蒐 集(しゅうしゅう)をされていることがうかがわれます。しかしながら、強仁房との公場での法論対決は結局沙汰止(さたや)みになり、年は建治三年に入りました。
 しかし、門下の公場での法論の期待は高まり、この年の三月、三位房日行より法論に対しての質問があったのです。大聖人様はその諸宗破折の要点、方法を御教示され、あわせて、法論の態度などを御指南されました。
 鎌倉・桑ヶ谷での三位房と竜象房との問答は、この年の六月九日に行われ、三位房はこれを見事に閉口せしめ、竜象房はその日のうちに姿を消したと伝えられます。
 本抄は、このように大聖人様が(かね)て望まれた公場での法論対決実現に向けての門下の機運と、緊迫した状況のなかでの御述作なのです。

二、本抄の大意

 はじめに釈尊滅後の正法時代には、教・行・証が(そな)わっているが、像法時代には教と行のみあって証が無い。末法には教のみあって行・証が無いことを示され、末法は権実の二機が(ことごと)く失せて、在世結縁の者が一人もいないので、改めて衆生の心田(しんでん)に妙法を下種する時であることを示されます。
 次に、三つの問答を挙げられ、さらに末法に法華経が流布する文証を示されます。そして、諸宗の学者が三五の塵点(三千塵点劫と五百塵点劫のこと)の法華経結縁を忘れているという謗法を破折され、法華経を信じる利益を示されるのです。
 次に、三位房 からの質問に懇切(こんせつ)に御指南され、はじめに爾前経に執する者に対する破折を示され、次に真言・念仏の謗法を指摘され、その破折を御教示されています。さらに総じて諸宗の謗法を指摘され、また諸宗の祖師の臨終の現証を指摘され、それを破折する態度を御教示されます。
 次に、法華経の他経に(すぐ)れる所以(ゆえん)を示さ れ、天台・妙楽の法華正統の法門をもって慈覚・智証の台密(天台真言宗のこと)を破折あそばされ、さらに大聖人様の文底下種仏法に具わる本覚義を開示されます。そして、末法に本化地涌の菩薩が出現して、妙法蓮華経を弘通されることを御教示されるのです。
 さらに別して律宗の良観に対する破折を示され、大聖人様の御出現によって、末法に教・行・証が具足した三大秘法の仏法が弘通することを示され、再度良観の卑怯未練(ひきょうみれん)の姿を破折され、最後に公場での法論に際しては、毅然(きぜん)とした態度で臨むよう御指南され、本抄を結ばれています。

三、拝読のポイント

 長編の御書ですので、ポイントを四つに絞って述べましょう。
 第一に、末法は一向下種益の時であるということです。本抄に、
     「今末法に入っては教のみ有って行証無く在世結縁(けちえん)の者一人も無く、権実の二機(ことごと)()せり。此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と()す」
と仰せのように、末法の衆生には釈尊との結縁がありません。この本未有善(ほんみうぜん)の一切衆 生の心田に、初めて寿量文底下種の南無妙法蓮華経を下種する時なのです。釈尊滅後の正像二千年の衆生は、釈尊との結縁があったため、権大乗経を縁として得脱したのですが、権大乗経で得脱したのではなく、妙法蓮華経の下種結縁によって得脱したのです。濁悪の末法は、妙法蓮華経下種の時なるが故に、凡夫の当体を無作の三身と開覚する本法の徳を示されるのです。
 第二に、折伏の心構えですが、本抄に、
     「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず」
と仰せのように、世界最高の三大秘法の仏法を信仰できる身の福徳と喜びをもって、確信ある折伏をすることです。折伏は慈悲行です。悪口を言われたり、(いわ)れなき中傷を受けることもあると思いますが、唱題を根本に、忍辱(にんにく)(よろい)を着て、勇気ある実践を してまいりましょう。
 第三に、慢心を戒めることです。冒頭に紹介したように、三位房は学才がありながら最後には師敵対して、正法の信仰を退転しました。
 『聖人御難事』に、
     「三位房が事は大不思議の事ども候ひしかども、とのばら(殿原)をも()いには智慧ある者をそね()ませ給ふかと、ぐち(愚痴)の人をも()いなんとをも()いて物も申さで候ひしが、はらぐろ(腹黒)となりて大づちをあたりて候ぞ。(乃至)又かく申せばをこ()人どもは死もう()の事を仰せ候と申すべし。鏡のために申す。又此の事は彼等の人々も内々は()をそ()れ候らむとをぼへ候ぞ」
                                  (御書 1398頁)
とあり、臨終も悪かったことがうかがえます。
 本抄の最後にも大聖人様は、
     「雑言・強言・自讃気なる体、人目に見すべからず、浅猿(あさまし)き事なるべし」
と戒めのように、三位房には悪い癖があったようです。折伏は決して相手を打ち負かすことではありません。ましてや虚栄心があってはなりません。折伏はあくまでも慈悲の心で相手を救うことですから、三位房の行状を、我が戒めとしなければなりません。
 第四は、大聖人様の深秘の御法門を、(みだ)りに語ってはならないとの御指南です。大聖人様の甚深の御法門を無闇(むやみ)に語っては、
     「三世諸仏の御(ばち)(こうむ)る」
と仰せであります。これは大聖人様の御法門を摧尊入卑(さいそんにゅうひ)して、法を下げることを戒められると共に折伏時においては相手の機根に応じた適切な破折が大切であることの御指南と拝されます。
 今、創価学会が血脈付法の御法主上人猊下を誹謗し、本宗の三宝破壊の大謗法を犯していますが、大聖人様の御法は深く尊いのであり、私たちは信心をさせていただいているのです。正直で、素直な信心をもって自行化他に精進し、決して御法を(おとし)めるようなことがあってはなりません。

四、結 び

 今月一日から、本宗の檀信徒名簿に登録していない人は、本宗の信徒としての資格を失うことになりました。しかし、まだ知らないでいる人も多いと思います。一人でも多くの人に知らしめ、慈悲の教導をしてまいりましょう。
 「充実の年」の本年も残すところあと一ヵ月を切りました。明年は「革進の年」と発表されました。残る期間を充実した信心で過ごしましょう。そして、御法主上人猊下の御指南のもと、「革進の年」に大きな弾みをつけて精進してまいりましょう。


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