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この前代未聞の極刑に処せられようとした頸(くび)の座を契機として、大聖人のおん身の上に一大変化が起きたのです。 大聖人は文永8年9月12日夜半、鎌倉をお出になり、丑の刻に竜ノ口において頸をはねられようとしました。しかし、不思議な光り物が江の島の彼方から北西の方角に飛来し、太刀取りの眼がくらみ、ついに頸を切ることができませんでした。 この子丑の時というのは仏法上深い意義をもっています。子丑は陰の終り・死の終り、寅は陽の始め・生の始めを意味しますが、釈尊を初めとする多くの仏様もこの丑寅の時刻に成道(仏様となること)したのです。すなわち、文永8年9月12日の子丑の刻は、大聖人の凡身としての死の終りであり、寅の刻は大聖人の御本仏としての生の始まりなのです。この時大聖人は、凡夫のお立場から末法の御本仏としての真実の姿を顕わされたのです。
そこで、毎年9月12日に御難会法要をおこない、大聖人に対し仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)申し上げると同時に、未曾有の迫害とそのご苦労を偲び奉り、広宣流布(こうせんるふ)を誓うところに御難会法要の意義があります。